「悠兄〈ゆうにい〉ちゃん、泣いてるの?」
夕焼けに赤く染まった公園。
ベンチに座り、肩を震わせている男に少女が囁く。
「悠兄ちゃん寂しいの? だったら小鳥〈ことり〉が、悠兄ちゃんのお嫁さんになってあげる」
そう言って、少女が男の頭をそっと抱きしめた。
* * *3月3日。
終業のベルがなり、作業を終えた彼、工藤悠人〈くどう・ゆうと〉が事務所に戻ってきた。
「お疲れ様でした、悠人さん」
悠人が戻ってくるのを待ち構えていた、事務員の白河菜々美〈しらかわ・ななみ〉が悠人にお茶を差し出す。
「ありがとう、菜々美ちゃん」
悠人が笑顔で応え、湯飲みに口をつける。
その横顔を見つめながら、菜々美が深夜アニメ『学園剣士隊』について話し出した。感想がしっかり伝わるよう、一気にまくしたてる。「やっぱり悠人さんの言ってた通り、生徒会が絡んでるみたいでしたよね。最後のシルエット、あれって生徒会長ですよね」
悠人に心を寄せる菜々美にとって、悠人と話せる昼休み、そして終業後の僅かな時間は貴重だった。
工場主任で、作業が終わってから書類整理の仕事が残っていると分かってはいるが、限られた時間、少しでも悠人と話したいとの思いに負け、こうして話し込んでしまうのだった。 机上の納品書に判を押しながら、悠人もそんな菜々美の話に、いつも笑顔でうなずいていた。アニメの話がひと段落ついた所で、菜々美が映画の話を切り出してきた。
「実家からまた送ってきたんですよ、優待券」
「ほんと、よく送ってきてくれるよね、菜々美ちゃんのお母さん」
「民宿組合からよくもらうんですよね。で、よかったらなんですけど……悠人さん、また一緒に行ってもらえませんか」
「そうだね……次の連休あたりになら」
「あ、ありがとうございます!」
菜々美が嬉しそうに笑った。
* * *コンビニに入った悠人は、ハンバーグ弁当と味噌汁、コーラをカゴに入れてレジに向かった。
家のすぐ近くにあるこのコンビニの店長、山本とはここに越してきた頃からの付き合いだった。「奥さんが留守だと大変だね。弥生〈やよい〉ちゃんは今、東京だったよね」
「ええ、池袋の方に行ってるそうです。あさってには帰ってきますけど、また遠征話で盛り上がりそうです……って、だから嫁さんじゃないですから」
「あはははっ。早く結婚しちゃいなよ、あんたたち」
「こんな40前のおっさんなんて、20歳の弥生ちゃんにはかわいそうでしょ。人生倍も違うんですよ」
「あらそう? でも弥生ちゃんの方はまんざらでもないんじゃない?」
「勘弁してよ、おばちゃん……」
* * *悠人は部屋の7階まで、健康の為にいつも階段を使っていた。このマンションに越してきて10年、毎日続けているおかげで、階段を上る足取りは40前とは思えないほど軽やかだった。
隣の弥生ちゃんは東京遠征、しばらく家も静かだな……そう思いながら7階に近付いた時、悠人は人の気配を感じた。「……?」
過疎マンションのこの階には、悠人と弥生しか住んでいない。
気のせいか? そう思いながら廊下を歩いていくと、悠人の部屋の前で座っている少女の姿が目に入った。「え……」
いかんいかん、アニメの見過ぎで妄想がここまで来たか。
一度足を止めた悠人は、ひと呼吸入れて再び玄関に目をやった。幻覚ではない。確かにそこに少女がいた。
ショートカットの黒髪、赤のダウンジャケットに薄紅色の手編みマフラー。そして黒のリュックを背負ったその少女の横顔には、どこか懐かしい面影を感じた。
「……小鳥?」
悠人がそうつぶやいた。その声に振り向いた少女は、悠人の姿に大きな瞳を輝かせた。
「悠兄ちゃん!」
そう叫ぶやいなや、立ち上がった少女は悠人に飛びついてきた。
「え? え?」
いきなり抱きつかれた悠人が、思わず声を漏らす。しかし混乱する頭の中で今、少女が言った言葉がこだましていた。
――悠兄ちゃん――
俺をそう呼ぶ人間はこの世でただ一人。やっぱりこいつは小鳥だ。
「悠兄ちゃん! 久しぶり!」
過疎化しているマンションに、少女の声はよく響いた。なんてテンションだ、この娘は……そう思いながら悠人は、少女の両肩をつかんで離し、
「なんで小鳥がここにいる」
そう言った。しかし少女はそれに答えず、キラキラ光る瞳で悠人の顔を見て、再び抱きつき頬ずりしてきた。
「やっと会えた! 小鳥、ずっと会いたかったんだから!」
「会いたかったってお前、学校は」
「小鳥はめでたく高校卒業。昨日卒業式だったんだよ。それでね、どうしても卒業旅行がしたくって、お母さんに無理言ったの」
「卒業旅行……と言うことは小鳥、大学は?」
悠人の問いに、小鳥が照れくさそうにVサインをした。
「無事合格、4月から花の女子大生です」
その言葉に、悠人が安堵の表情を浮かべた。
「そうか、合格したのか、よかった……よく頑張ったな、小鳥」
悠人が小鳥の頭を撫でる。その仕草に、小鳥が顔を真っ赤にして微笑んだ。
「にしても早いな。最後に会ったのは5歳だから、あれからもう13年も経つのか」
「お母さんも賛成してくれたんだ、卒業旅行。小鳥、嬉しくて興奮しっぱなしだったんだ」
3月とはいえまだまだ寒い。それにいくら過疎マンションでも、玄関先での会話はマナー違反だ。とにかくここではと、悠人が小鳥を家に入れた。
「悠兄ちゃんのお家、なんか緊張しちゃうね。おじゃましまーす」
靴を脱いだ小鳥が、そう言って部屋に入ろうとした。その小鳥の腕を悠人がつかむ。
「この部屋に入るからには、お前にもルールを守ってもらうぞ」
悠人はそう言って小鳥を洗面所に連れていき、うがいと手洗いをさせた。
「風邪、まだ流行ってるからな」
「悠兄ちゃん、お父さんみたい」
台所の先に和室があり、悠人は小鳥と入っていった。
「その辺に適当に座っていいよ。ところで小百合〈さゆり〉……母さんは元気にしてるのか?」
「うん、元気元気すこぶる元気。母さんも今旅行中なんだよ。女一人旅」
「そうか、元気ならまあいいや。で小鳥、その卒業旅行っていつから行くんだ? 友達と海外にでも行くのか?」
「違うよ。小鳥の旅行、もう始まってるよ」
「え?」
「小鳥の卒業旅行はここ。悠兄ちゃんのお家」
「……は?」
「そして今から、悠兄ちゃんに重大発表があります」
「ちょっと待て、ここが旅行ってなんの」
「はいこれ」
聞く耳持たない小鳥が、一枚のDVDを悠人に突き出した。
この勢い、母親と全く同じだ。そう思いながら受け取った悠人は、デッキにDVDを入れた。「……」
なぜかハリウッド映画会社のオープニングが流れ、その後画面にアニメ「魔法天使〈マジック・エンジェル〉イヴ」のフィギュアが映し出された。
そして聞こえる懐かしい声。小百合だった。「悠人―、ひっさしぶりー! 元気してるー? 悠人の永遠のアイドル、水瀬小百合〈みなせ・さゆり〉ちゃんでーす!」
相変わらずの元気な声。悠人の顔がほころんだ。
画面はイヴのフィギュアから動かない。時折画面の端に、白い指が意地悪そうに入ってくる。「とまあ、出だしの挨拶はこれぐらいにして……ゴホンッ。悠人は今、小百合の顔を見たいと思ってるよね? でもでも悠人と離れてはや10年、流石の小百合も非情な時の流れには勝てず……まぁ美貌は健在なんだけどね。小鳥と相談してね、悠人の大切な初恋の夢を壊さない為、今回は声だけのメッセージにしました」
確かにそうだ。しばらく会ってないから忘れていたが、俺と小百合は同い年なんだ。
小百合ももう、そんな年か……感慨深げに悠人がうなずいた。「今悠人の隣にいる小鳥は、艱難辛苦を乗り越えて、念願叶って見事希望の大学に合格しました。悠人も気になってたと思うけど、小鳥の受験の邪魔しないって約束で、この一年連絡禁止にしてたから、きっとやきもきしてたでしょうね。でも悠人、あんたの協力もあって、小鳥は無事合格出来ました。ありがとね。
その小鳥に私、ひとつだけ何でも望みを叶えてあげるって言ったの。そして小鳥が出した望みがこれ。悠人、よーく聞くのよ。『私、悠兄ちゃんのお嫁さんになりたい』って」
「…………は?」
「悠人。あんた私たちが引越しする時、小鳥と約束したらしいじゃない。小鳥が大きくなったら結婚してあげるって。小鳥はね、ずっとその約束を忘れずに頑張ってきたんだよ」
「ちょっと待て、あれは小鳥が5歳の時の話だぞ」
「だから私は母として。可愛い娘の一途な想いに報いてあげたくて、今回の旅行に賛成しました。私もちょうど、温泉旅で女を磨きなおしたいって思ってたところだったし。今から私は陸奥〈みちのく〉一人旅、小鳥は浪速〈なにわ〉一人旅」
「なんだそれは。うまいこと言ってるつもりか」
「だけどもちろん、悠人もいきなり小鳥と結婚って言われても、はいそうですかとはならないよね。悠人は今でも小百合一筋、分かってるよ。小鳥から愛を告白されても戸惑うでしょう。だから悠人、小鳥にはひとつだけ条件をつけました。
今日から3ヶ月の期限付きです。それまでに悠人の心をつかめたならOK、もし3ヶ月経っても悠人の心が動かなかったら、その時は諦めて帰ってきなさい、そう言ってます。だから悠人、しばらく小鳥の面倒みてやってね。そして悠人の意思で、小鳥を選ぶかどうか、決めてあげてほしいの。一人の女の子として」「あ、あのなあ……」
「でも悠人、根性いれて小鳥と過ごしなさいよ。恋する女は強いからね。あ、それと小鳥、小鳥も頑張るんだよ。悠人は母さん一筋だけど、母さんの遺伝子を持ったあなたならだいじょーぶ。年の差なんて関係ない、恋する女は誰にも負けないからね。じゃあそういうことで悠人、小鳥、頑張ってねー」
好き勝手言うだけ言って、DVDは終わった。
「疲れた……今日が一番疲れた……」 風呂上がり。コーラを飲みながら悠人〈ゆうと〉がうなだれた。 明日でゴールデンウイークも終わり。こんなに濃い休みは初めてだった。「明日こそはゆっくりするぞ。そうだ、アニメもたまってるしな」「悠兄〈ゆうにい〉ちゃーん!」 風呂上がりの小鳥〈ことり〉が、背中に抱きついてきた。「おつかれさま。明日はゆっくり出来そう?」「ああ、ちょうど今、そう思ってたところだ。明日は一日、ゴロゴロしながらアニメ三昧しようかと」「小鳥も付き合うね」 その時、悠人のスマホにメッセージが入った。「誰から?」「ああ、深雪〈みゆき〉さんからだ。明日深雪さんの家で、みんなで夕食一緒にどうかって」「あはははっ。深雪さんも私たちの関係、楽しんでるよね」「だな。じゃあ晩御飯ご馳走になろうか。それまではゆっくりと」「アニメ鑑賞!」「だな」「うん!」 悠人が返信を送り終えるのを待って、小鳥が少し神妙な面持ちで言った。「小鳥、ここにいてもいいのかな」「いきなりどうした」「だってお母さんとの約束は三ヶ月で、今の時点で悠兄ちゃんは小鳥を選んでない訳だし……弥生〈やよい〉さんやサーヤは勿論、一人離れて住んでる菜々美〈ななみ〉さんにも悪いと思って」 悠人が小鳥の頭を優しく撫でる。「……悠兄ちゃん?」「ここにいてていいんだよ。お前はもう俺の家族なんだ。小百合〈さゆり〉とも約束したしな。それに」「それに?」「お前のこと、一人の女の子として意識してるって言ったろ? 小鳥は三ヶ月かけて、娘として愛していた俺の気持ちを変えたんだ。大成功じゃないか。小百合もきっと、認めてくれるよ」「悠兄ちゃん……
「ふう……」 コーヒーをひと口飲み、悠人〈ゆうと〉が大きなため息をついた。「なんで悠人さんがため息なんですか。私たちの方がドキドキしてますのに」「全くだ。これではエロゲー主人公と変わらないではないか」「いえいえ、エロゲーでこの展開はないかと。選ぶ側より選ばれる側の方が、肝が座ってるんですから」「本当だね」「で、どうだ遊兎〈ゆうと〉、落ち着いたのか」「あ、ああ……」 4人の態度に、悠人は悩んで言葉を探している自分がまぬけに思えてきた。「ったく……みんな俺で遊びすぎだぞ」「だって悠兄〈ゆうにい〉ちゃん、可愛いんだもん」「家に飾っておきたいです」「遊兎が私の玩具……なかなかに興味深い」「じゃあ結論を言います」「待ってました、悠人さん」「悠兄ちゃん、頑張ってー」「悠人さん、私は信じてます」「さあ、私の胸に飛び込んでくるのだ」「ったく……弥生〈やよい〉ちゃん。俺は弥生ちゃんのこと、大好きだ。趣味の話も一番合うし、料理の腕も最高だ。そしていつも、可愛い笑顔で俺を癒してくれる。そしていっぱい俺のこと、好きでいてくれてる」「悠人さん……」「沙耶〈さや〉。俺はお前のこと……好きだよ。お前のその気高さ、強さ。時折見せる弱さも好きだ。人形のような顔立ち、そしてその綺麗な髪も大好きだ。甘えてくる時の顔も好きだ」「遊兎……」「菜々美〈ななみ〉ちゃん、大好きだ。ずっと俺を想ってくれてる一途なところ、二人分の人生を生きようとしてる強い気持ちも好きだ。いつも周りのことを気遣ってくれる、そんな優しいところも大好きだ」「悠人さん……」「小鳥〈こ
「よし、出来た」 何年ぶりかで作った、自分が作れる唯一の料理、焼飯。 テーブルに並べ、隣にサラダを置く。 自分でも驚いていた。この世である意味、一番価値がないと思っている料理に時間を割いている。ただ悠人〈ゆうと〉の脳裏に、かつての小鳥〈ことり〉の言葉が思い出され、無性に作りたくなったのだ。「悠兄〈ゆうにい〉ちゃん。ご飯を食べるってことはね、もっと生きていたいっていう気持ちと同じなんだよ。もっと食べることを楽しく思わないと、それは生きてることがつまらないって言ってるのと同じなんだよ」 * * *「ただいまーっ!」 小鳥の元気な声。悠人がドアを開ける。「悠兄ちゃんただいま。今日も楽しかったよ」 そう言って、小鳥が悠人に抱きついてきた。「おかえり、小鳥」 微笑み頭を撫でる。「え……何これ? まさかこれ、悠兄ちゃんが作ったの?」 小鳥が、テーブルに並べてある料理に目を丸くした。「そんなに驚かなくてもいいだろ。俺だって、料理のひとつぐらい出来るさ」「こ、これは……お母さんが言ってた、伝説の悠人焼飯……」「なんだ小鳥、知ってるのか」「うん、お母さんが言ってた。悠兄ちゃんが唯一作れる料理。しかもその出来は本物だって」「大袈裟だな、小百合〈さゆり〉は」「すっごく嬉しい! 小鳥、一度食べて見たかったから。でも、なんでこんなにお皿が」 その時インターホンがなった。小鳥がドアを開けると、そこには沙耶〈さや〉、弥生〈やよい〉、そして菜々美〈ななみ〉が立っていた。「みんなどうしたの?」「うむ。夕食に招かれてな」「私も同じくです」「わ、私も……悠人さんすいません、今ちょっとバタバタしてるので、遅れてしまいました」「いいよ菜々美ちゃん、ちょ
「私の部屋で少年と二人きり。中々新鮮だね」「ははっ」 小さなテーブルを挟み、悠人〈ゆうと〉が深雪〈みゆき〉の言葉に笑った。 * * *「小鳥〈ことり〉くんはコンビニかい?」「はい、沙耶〈さや〉とバイト中です。あと二時間ほどであがりなんですが」「そうか。で、わざわざその時間を狙ってここに来たんだ。世間話をしに来た訳じゃないね」「はい……小鳥と一昨日、色々話しました。小百合〈さゆり〉のことも」「小百合さんのこと、聞いたんだね」「深雪さんは知ってたんですね」「ああ。以前君が熱を出した時に、小鳥くんからね」「あの時に……」「あの時、小鳥くんの様子は尋常ではなかった。彼女が抱えているものが何であれ、一度吐き出させる必要がある、そう思ってね。 彼女のお母さん、小百合さんは元気な方で、子供の頃から病気知らずだったそうだね。その彼女が、ある日突然倒れた。ただの過労だと思っていたら、その半年後にあっさりいなくなってしまった」「……」「人は誰も、人生がいつまでも続くと勝手に思い込んでいる。死は必ず訪れるものなのに、なぜか人は、自分だけはそのルールから外れているような錯覚を持って生きている。そして死を身近に感じる経験をした時、初めて自分も死ぬんだということに気付くんだ」「確かに……俺も、いつかはこの世から消えてなくなるって、頭では分かっていますが」「まぁ、だから人は生きていけるんだけどね。いつ来るか分からない死に日々怯えていては、人生を楽しめないからね。 小鳥くん、こんなことを言ってたよ。『お母さんが余命半年だって分かった時、色んなことを考えました。そして思ったんです。お母さんの余命は、お母さんの病状から、これまで積み重ねられてきたデータから出したひとつの目安なんだ。この進行具合に治療を施したとして、生きられる平均的な時間を出したんだって。
悠人〈ゆうと〉は小鳥〈ことり〉を探し、走っていた。 何度電話してもつながらない。悠人の頭から、小鳥〈ことり〉が一人で泣いている姿が消えなかった。 コンビニに行くがいない。カウンターにいた沙耶〈さや〉が、会ってはいけないルールを破ってやってきた悠人に、そして様子に驚いていた。弥生〈やよい〉に、菜々美〈ななみ〉に、深雪〈みゆき〉にも電話するが分からない。深雪は冷静だったが、弥生と菜々美は突然の電話に驚いていた。 再びマンションに戻った時には、既に陽が落ちていた。「小鳥……」 その時悠人の脳裏に、ひとつの場所が浮かんだ。 それは、すぐ目の前の堤防だった。「くそっ、何をやってるんだ俺は! いつもなら真っ先に行ってるだろうが!」 * * * 陽が落ちた堤防を見下ろす。暗く静まりかえったそこに、小鳥の姿があった。「小鳥―っ!」 小鳥は堤防で、膝を抱えて座っていた。 小鳥の横に立つと悠人は息を整え、そして小鳥の肩に自分のジャケットをかけた。 悠人が隣に腰を下ろす。小鳥は何も言わず、膝に顔を埋めたまま動かなかった。「……小百合〈さゆり〉のDVD、見たよ」「……」「ごめんな、小鳥……俺、ずっと小鳥を見ていたつもりだったけど、何も見えてなかった。 小鳥がどれだけ寂しい思いをしてきたか、どんな気持ちで俺のところに来たのか、分かってなかった」 悠人の言葉に、小鳥はうつむいたまま首を振った。「そんなことないよ……小鳥、悠兄〈ゆうにい〉ちゃんの家に来てから、本当に楽しかったから……泣きたくなっても、悠兄ちゃんの顔を見たら元気になれたから…… ここに来るまで小鳥、ずっと泣いてたと思う。もうお母さんと話せないんだって思ったら
悠人〈ゆうと〉が目を見開く。 息が出来なくなった。変な汗が滲み、胸の動悸が早まった。 今、小百合〈さゆり〉は……小百合は何を言ったんだ……「半年前、私は職場で倒れました。過労かな、そう思ってたんだけど、聞かされた病名は『急性白血病』というものでした。検査した時には症状が進んでいて、手がつけられなかったそうです。そして伝えられたのが、余命半年というものでした。 この半年、自分の人生について、色々と考えることが出来ました。そして気付きました。私の人生って、悠人と小鳥〈ことり〉で埋め尽くされていたって。 余命を伝えられてから、急に悠人に会いたくなった。もう助からない命なら、せめて悠人の胸の中で死にたい、そう思った。でも、そう思って振り返ると、そこには小鳥がいた。 私の余命を先生から聞いたのは、小鳥でした。小鳥、随分悩んだみたいだけど、私に話してくれた。私の胸で泣いてくれました。 死ぬことは怖い。今、こうして話していても怖いです。でもそれ以上に私は、小鳥がこれからどう生きていくのか、それが心配でした。 あの子は本当にいい子に育ってくれました。父親の顔も覚えていなくて、私と母さんと三人、決して裕福ではない環境の中でまっすぐに、素直に育ってくれました。思いやりのある、優しい子になってくれました。 でも小鳥はまだ18歳、人生はこれからです。この子のこれからをずっと見守っていきたい、そう心から願いました。でも、それは叶わない。 この半年、小鳥は毎日病院に来てくれました。たまに先生の許可をもらって、病室に泊まってくれました。いっぱい話しました。今まで話せなかった私のこと、和樹〈かずき〉のこと、そして悠人のこと。 小鳥はよく泣きました。私との別れを、急にリアルに感じる時があるんだと思う。そして、私が悠人のことを本当に好きなんだって知って、悠人に連絡したい、そう何度も言いました。 でも、私は許さなかった。私はもうすぐここからいなくなる。私のことより、小鳥には小鳥のことを考えて欲しかったから。 最初